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平の将門 (吉川英治歴史時代文庫 (46)) (講談社)

 平将門、その名前は「呪い」の世界ではかなり有名である。  

 こんにちは、宇田川敬介です。今回は、その内容について考えてみたいと思う。  

 ところで、「宇田川」という苗字は、そもそも現在の渋谷宇田川町あたりを支配していた小豪族で、道玄坂の上あたりに居館を構えていたようだ。もちろん城といえるようなものではない。その宇田川家と徳川の重臣の大久保家が婚姻し、現在に至っている。 このい大久保家は、もちろん三河国のなかでさまざまな家柄がありますが、その代表的なものは、藤原家の家柄に当たる。  

 藤原は大化の改新で功績のあった中臣鎌足が藤原姓を転地天皇から賜ることを祖とし、京都の貴族の中心となった。そして平将門が旭将軍を名乗り新王朝を建てるとなって、その討伐を命じられるのが「俵藤太」こと藤原秀郷である。この藤原秀郷は、藤原家の中でも武士としての活躍を行い、その子孫には中尊寺金色堂で有名な藤原秀衡や伊達政宗などがいるように、関東から東北にかけての支配を行っていたのである。 その家柄は、平将門と言うと仇敵とされ、最もその恨みの対象として思われている家柄なのである。徳川家康の江戸入府にしたがって天下普請による江戸城拡張工事を行っていた時に、どうしても平将門の霊廟、現在の神田明神の移転が必要になる。その時に、それを企画した大久保長安は、後に改易になっており、また大久保忠世は、すぐに病死しており、また、その嫡男忠隣は事件に巻き込まれて改易になっている。 さて、平将門の怨霊とはどのようなものであろうか。そもそも平将門は、常陸国を中心に平安時代に大和朝廷の維新で関東を平定することを命じられたのであるが、もともと自尊心が強く、そして平家として臣下の礼をとったものの、もともとは桓武天皇の血筋を引くことから、徐々に自分こそが正当な王権を持つものであるという感覚にとらわれ、新皇を戦勝し独立を行う。しかし、藤原秀郷に攻め滅ぼされるということになる。  

 平将門は、一時優勢になるが数に勝る藤原軍に勝てず、歴史に残る最初のさらし首になる。京都・三条河原にさらされた首は、毎夜青白い光を放ち「わが身体はどこにある!ここに来て首とつながり、もう一戦交えよう!」と叫び、いつまでたっても腐ることはなかったといいます。そして、さらし首になっている首だけが京の空を舞い、自分を裏切ったものの首や腕を食いちぎって関東に飛んで帰る。その首が落ちたところが現在の東京都大手町にある平将門の首塚であり、胴体が埋まっていたところが大久保が移転する前の神田明神、現在の皇居敷地内といわれている。また。食いちぎった首や腕が落ちたところ、または将門が愛した馬の死骸が埋まっているところ、将門が戦勝を祈願した刀が埋まっているところや、将門に従って討ち死にした者たちが眠る場所など、様々な場所が「平将門の怨霊の地」として残っているのである。 怨霊の種類としては、菅原道真の場合は、自分に敵対し讒言した人々を呪った。

 日本の怨霊は、基本的に自分を左遷などに追いやった相手に対して行うものであり、それを理解しない人に対して現れるものである。しかし日本三大怨霊とされる「菅原道真」「平将門」「崇徳上皇」のうち、平将門と崇徳上皇は、自分の名誉を傷つけるものに対してすべて祟りを及ぼすものであるために、その内容は、時代も人の区別もないのが現状だ。もちろん、私の家のように彼らを滅ぼした家柄に関しては、より一層大きな祟りがあるのだ。 平将門の怨霊が記録に残っているのは江戸時代であるが、それ以前にも太田道灌が江戸城を築いて、その後に主君に忙殺されるなどがあった。そして、江戸時代になると、平将門の首塚近くに施設を建てたり何か物を盗んだものに対しては必ず祟るようになったのである。  

 江戸時代の文献に残っているのは、成田山にある東光寺に保管されていた「将門の犬屏風」が盗賊に盗まれた時であった。盗賊らはその絵を売り払ってしまったのだが、その後盗賊の一人が狂って「犬の絵を八幡宮へ返せ…返せ…」と大声で喚きだす。見かねた盗賊の頭は絵を買い戻し、東光寺に返したところ、その症状が治ったのだという。 関東大震災後、首塚の上に大蔵省の仮庁舎を建てた時はその無礼に怒り、将門の祟りが爆発した。当時の大蔵大臣を含め、関係者数十名が次々と変死する事件が起きた。いずれも平将門など落ち武者などに殺される夢にうなされて変死する、または事故死してしまったのである。昭和2年4月27日に将門の供養が行われ、神田明神の宮司によって実施され祟りは収まった。ように見えたのだが、昭和15年6月に再び事件は起こった。突如落雷が大蔵省を襲い、大火事となったのだ。その落雷現場が将門の首塚付近であったことから、祟りではないかというウワサが立ち上ったのだ。 また、この首塚などを含めて、平将門ゆかりの神社として「鳥越神社」「兜神社」「神田明神」「将門首塚」「筑土八幡神社」「水稲荷神社」「鎧神社」があり、これらをすべてつなぐと北斗七星の形になるとして有名だ。そして、それらの神社で平将門の名誉を傷つけると、死を賜るということになります。なお、私の一族は、「行ってもいけない」といわれており、もしも行こうとすると道に迷ったりあるいは何らかの事故にあうなど、あまりいいことにはならないと伝えられている。 日本の怨霊の中で平将門は、すぐに死を賜るということで最も恐れられているが、そのスポットが東京の都心に点在しているというのも、何か興味深いところかもしれない。 (宇田川敬介)



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