母親が死に、彼は大きな喪失感に見舞われたが、猛勉強をした。そして、一浪した末に、リーズ大学メディカル・スクールに入学。その後、順調に単位を取り、医者となった。
大学でも学生たちと交わらず、存在感の薄かったハロルドだったが、教授らは「あからさまに人を見下すなど、若者らしくない行動に驚かされることがあった」と回想。「まるで我々と一緒にいることを、我慢しているようだった」とも語っている。

 自分以外の人間は、大学の教授であろうとランクが下だと思っていたハロルドだったため、もちろん、女性とも縁がなかった。大学のダンスパーティーには姉を連れて来たため、かなり浮いたそうだが、「もともと変人扱いされていたから、驚く者はいなかった」そうだ。

 だが、19歳のときに3歳年下のプリムローズと出会い、すぐにできちゃった結婚をすることになる。彼女は、ハロルド同様、子供を完全なる支配下に置くタイプの母親に育てられ、同年代の友達がいなかった。外見があまりパッとしなかったため、ハロルドにデートに誘ってもらい「ありがたい」と、深く感謝していたそうで、従順な妻として彼に従えるようになった。人付き合いを嫌ったハロルドだが、プリムローズは一目見て「支配下に置ける」と直感したのかもしれないと、一部では伝えられている。

■ハロルド、殺人への目覚め

 1970年からのインターンを経て、1974年に医者の免許を取ったハロルドは、ヨークシャーのトッドモーデンにある診療所に就職。ノース・イングランドに移住した。すでに2児の父親になっていた彼は、この新しい地で、劇的に変化した。これまでの彼とはうって変わって、ものすごく社交的になったのだ。時間が許す限り、たくさんの往診も行い、地域住民から尊敬される評判のいい医師となった。

 しかし、診療所では、「バカにされている」と感じるスタッフが多く、評判は悪かったとのこと。ベテランの医師の意見を無視して、自分のやり方を通すことも多く、衝突を招く“要注意人物”としてもみられていたという。患者受けがよかったためクビにされることはなかったが、突然、気を失うことも多く、診療所は彼に不信感を募らせていった。ハロルドは「実は、てんかん持ちなのだ」と弁解したが、そのうち、彼が患者の名前を使い大量の「ペチジン」を入手していたことが発覚。モルヒネより少し弱い合成鎮痛薬のペチジン依存であることを、認めたため、1975年、診療所はハロルドを薬物依存リハビリ施設に強制的に入院させた。

 2年後、ハロルドは「処方せんの偽造罪」で起訴され、有罪となった。しかし、地域に貢献していたとして罰金600ポンド(約9万円)だけで済み、医師免許を剥奪されることもなかった。ちなみに、このペチジン大量違法入手だが、患者を殺害するのが目的だったという説が強く、失神したのは、試し打ちし過ぎたからだと見られている。そう、医者になりたての1974年から、ハロルドの連続殺人は始まっていたのである。

 リハビリを終え、罰金を支払ったハロルドは、グレーター・マンチェスターのハイドに移住し、ドニーブルック・メディカル・センターで働き始めた。病院は、ヨークシャーで患者受けがよかった点を高く評価し、彼に医師としてのセカンドチャンスを与えようと思ったそうだ。ハロルドは、この地で再び、地域に密着した診療を行うようになり、3,000人ほどの患者を抱えるようになった。地域から絶対的な信頼を得たハロルドは、病院に12年間勤務した後、独立。主に往診を行うようになった。つまり、自分の好きなときに、患者を殺すことができるようになったのだ。

 ハロルドは、患者の情報は当時としてはまだ珍しかったコンピューターを使い管理していたが、これは、患者を殺害した後、つじつまを合わせるため、病名や処方した薬などを改ざんするのに便利だったからだと見られている。殺人に使用した大量のモルヒネは、糖尿病の患者を末期がんだと偽るなどして、処方し、入手していたのだ。逮捕される少し前からは、患者がまだ生きているのに「死亡」したと情報を改ざんするなど、ハロルドは、どんどん大胆になっていった。遺書を偽造したのも、「自分が捕まるわけがない」と絶対的な自信を持っていたからだろう。

 ハロルドが殺害する患者には、いくつかの共通点があった。90%は初老~年老いた女性で、一人暮らし。そして、大半がパジャマではなく、きちんとした服装で、ベッドではなく、ソファーや椅子に座り絶命していた。手術の最中に亡くなるケースもとても多かったそうで、警察は、その点も不審に思ったとのこと。モルヒネを過剰に注射して、殺すだけでなく、メスで切り裂き、命を奪ったケースも少なくないようだと発表している。

 1カ月に8人の患者を殺しても、バレることはなく、医師という立場を上手く利用し殺人三昧の日々を送っていたハロルド。しかし、「彼の担当する患者の死亡率が、異常に高い」と不振に思った同僚、「彼の往診する患者が、次々と亡くなっている」と不安に思ったタクシー運転手、「いつも座った状態で亡くなっており不自然極まりない」と感じていた葬儀屋、「死ぬなんて、突然すぎる」と納得できない遺族など、ハロルドを疑惑の目で見る地域住民は、かなり多かったという。地元の教会の神父によると、彼らは、今なお、「あの時、自分が警察に言っていれば、死ななくてすんだ人が大勢いたのに」と罪悪感に苦しんでいるという。

■なぜ大量殺人を行ったのか?

 一般的な連続殺人鬼とは異なり、ハロルドは、暴力を振るったことはなく、性的な快楽を得るために殺したわけでもなかった。殺害したのは、年配女性が多く、椅子で居眠りしているような状態で亡くなっていたことが多かったため、心理学者たちは、「最愛の母親が死ぬ瞬間を、繰り返し再現したくて殺害した」、「最愛の母親と一緒にいるような気持ちになったから、モルヒネを大量に投与した」と、分析した。

 しかし、彼の幼児期の環境などが明らかになってくると、「彼が何のためらいもなく、次々と殺人を行ったのは、自分は特別である、人間の生死を支配できる神のような存在だと思っていたからではないか」という説が有力になった。自分を信頼し、尊敬し、感謝する患者が、「ありがとう」と言いながら、安らかな顔で息を引き取るのを見るのは、ハロルドにとって、たまらない瞬間だったのだろう。何百人の死を、自分の手でコントロールできる、自分は神だと彼は錯覚していたに違いないと、複数のメディアは報じている。

 警察の尋問でも、57日間に渡って行われた裁判でも、一貫して無罪を主張してきたハロルド。都合の悪いことには黙秘をし、人を見下す、バカにした表情を浮かべることも多かったという。15人に対する殺人罪で15つの終身刑に、遺書の偽造罪で4年の禁固刑が下った彼は、すぐにダーラム刑務所に収容された。2003年6月には、家族が面会しやすくなるようにとウェイクフィールド刑務所に移動。妻はハロルドの言葉はすべて信じ、せっせと面会に通いつめたそうだが、彼にはそんな妻の愛が届くことはなかった。2004年1月13日、早朝6時、監房の窓柵にベッドシーツをくくりつけ首を吊った状態で絶命しているのが発見されたのである。

 妻が、「夫は殺されたのだ!」と大騒ぎしたため、念のために検死が行われたが、自殺だと断定された。ちなみに、彼は刑務所で、他の囚人に対して、「私は、どこにナイフをあてれば、人が死ぬのか熟知している。気をつけろよ」と言ったり、「508人を殺した」と告白したりしたとも伝えられており、薄気味悪いインテリ・シリアル・キラーとして恐れられていたそうだ。

 母親に洗脳され、自分は神だと信じ込み、多くの患者の命を奪っていったハロルド・シップマン。英国史上最も多くの人を殺した連続殺人鬼である彼が、生涯で殺した人の数は1000人を超えるという説もある。しかし、自分の死をも、自分でコントロールし、この世を去ってしまったため、今ではもう、知る術もない。



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