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『新・あの世はあった 文豪たちは見た!ふる
えた! 心霊・超常現象が眠れる意識をどう覚醒
させたか』
(ピカルランド)

 歴史上の偉大な人物には、霊能者のかげが見え隠れしています。霊能者といっても、本物の霊能者ほど、その才能をひけらかしはしません。そうした才能などないかのように、自然体で生活しているものです。

 たとえば、現在の日本の元を作った偉大な人物の1人に新渡戸稲造がいます。

 新渡戸は、日本の農業を振興し、関係が悪化する日本とアメリカとの架け橋となった偉大な人物です。今でも『武士道』などの著書は世界中で読まれていますし、彼が台湾総督府の役人時代に手塩にかけて育てた現地の製糖業は世界五大産地の1つとなりました。

 そんな彼の近くにも霊能者はいました。超能力に多大な関心を寄せていた世界的な哲学者ベルグソンや文学者ギルバート・マレー博士との交友にとどまらず、日本の東北の優れた霊能者に教えを請うたのです。その人の名は佐藤法亮尼。山形県赤湯町の東雲寺というお寺の尼さんです。拙著『新・あの世はあった 文豪たちは見た! ふるえた!  心霊・超常現象が眠れる意識をどう覚醒させたか』(ヒカルランド)から一部をご紹介しましょう。

■新渡戸の最期を見抜いていた法亮尼

 新渡戸と法亮尼の出会いは、昭和2年でした。新渡戸は国連事務次長の職を辞したばかりでしたが、すでに有名になっていた自らの名前を伏せて法亮尼に会いに行きます。一方、当時まだ27歳の若者でありながら、その純粋さによって人並み外れた霊感の持ち主であった法亮尼は、祈祷中に優れた人物が自らを訪問してくることを予知していました。

 新渡戸のさまざまな問いに答えるうちに、法亮尼は、新渡戸が我欲のない無私の立派な人物で、釈迦かキリストの再来のような方だと思えてきました。やがて、新渡戸が真に危惧している日本とアメリカとの関係に話題が及びました。法亮尼は、新渡戸が国際問題で奮闘し、外国で亡くなることや、畳の上では死ねないことを見抜いてしまいます。

 この出会い以後、親子あるいは祖父と孫ほど年の離れた2人の交流が始まります。

 次第に力を増す軍人たちに誤解されていた新渡戸には、たびたび生命の危険も迫りました。法亮尼は新渡戸に迫る危険を予知し、新渡戸を助けるために尽力しました。例えば、昭和7年頃に、法亮尼は新渡戸の身に危険が迫ることを察知して、上京して新渡戸家に寄宿します。ある日の深夜に、政治活動家のような男たちが2〜3人、新渡戸を訪ねてきました。法亮尼は、新渡戸は留守だと言いますが、男たちは家に入ってきてしまいます。秘書が対応しているうちに、法亮尼は新渡戸を寝間着のまま女中風呂に入れ蓋を閉めて隠し、出てこようとする新渡戸を押しとどめ、危機を回避します。

 新渡戸は日米関係の危機を回避するためにたびたびアメリカに渡り、誤解されながらも日米の親交のために尽力します。

 法亮尼は、新渡戸の昭和8年のアメリカ行きが生命の危険につながるのでやめるように新渡戸の養女に手紙を書きますが、新渡戸は日本のことを危惧し、生命の危険をかえりみず出発してゆきます。険悪になる世界と日本との関係を改善するため、太平洋問題調査会の会議に日本代表として出席しようとした新渡戸は、会議に向かう列車の中で激しい腹痛に襲われました。会議では、全力を尽くして日本の立場を説きましたが、その後も腹痛は続き、入院して膵臓の病気が見つかり手術の甲斐なく、カナダで亡くなります。法亮尼の予知通り、新渡戸は異国で帰らぬ人となったのです。

 偉大な人物ほど柔軟にものを見ます。新渡戸は、当時流行した心霊学や超常現象にも関心を持ち、かつてヨーロッパを訪問した際にも見聞を広めました。

 『新・あの世はあった』には、こうした柔軟な思考の持ち主である偉大な文化人・新渡戸稲造の霊能者への興味・関心と、なかでも彼を支え助けた日本の霊能者である佐藤法亮尼との関わりが書かれています。

■宮沢賢治は、自身が霊能者・予言者だった!

 もうひとつ、『新・あの世はあった』から、偉人と霊能力について紹介しましょう。

 宮沢賢治は多くの童話や詩を書いて、現在でも多くの人々に親しまれています。毎年、何百万人ともいわれる多くの方が彼を慕い、故郷である岩手県花巻市を訪ねてきます。

 賢治は、実は霊能者で予言者でした。幼少の頃より、神仏・幽霊・妖怪など、日常的にこの世ならぬものを見て育ちます。成長するにしたがって山歩きや散策を好んだ賢治は、古来より山の大自然により自分を磨き高める修行をした人々と同じように、山の自然により心を磨かれ鍛えられ高められました。より一層不思議な力を身につけた彼は、その一方で詩や童話で不思議な世界を描きました。

 賢治は、かつて古い時代に修験道のメッカであった早池峰山で山から下りてくる往古の僧侶に遭遇したり、散歩の最中に田んぼの畦道に置かれていた石塊の下から生前の行いが悪いために落ちてしまった餓鬼の声を聞いたり、勤め先の高校の近くの古い杉林で大入道を見て寝込んでしまったり、やはり勤め先の高校で森の鬼神を見たことを語ったりしています。童話や詩に出てくる神仏・幽霊・妖怪なども、実際に賢治が見たもの感じたものではないでしょうか。なぜなら詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』の序文には、作品に登場する事物はすべて実際に見たもの感じたものを描いたという趣旨のことが書かれているからです。

 農業高校の先生だった時代にも生徒たちを連れて散策しては、生徒や同僚の先生にこの世ならぬものを見たことを語っています。また、最大の理解者であった妹トシの死後は、たびたびトシの霊と会っています。

 さて、こうした賢治ですから、彼の童話や詩や断片的に残した言葉は、予言にも見え、そのいくつかは的中しつつあります。

 まず現代はエコロジーの時代に向かいつつあります。賢治は、太陽や風からエネルギーを受け取ることを詩『生徒諸君に寄せる』、童話『グスコーブドリの伝記』などさまざまな作品で書きましたが、実際に太陽光・風力・潮力・地熱などの発電が徐々に普及してきました。現在は、原子力、ダム、火力などの自然を破壊してしまう、危険なエネルギーが人々に敬遠されつつあり、自然エネルギーを求める声が日増しに高くなっています。

■宗教対立を経て、「世界宗教」を予言

 また、本来、人を救うべきものだったはずの宗教は、これまで俗世間に染まり、宗教家も自分を磨き高める修行はどこへやら、お葬式の時だけお経をあげて収入を得ているような状況があります。そのため、人々は宗教家に対する尊敬を失い、本来、死後の安らぎのためになされていた死者の供養に意味を感じなくなり、散骨をする人や倉庫のようなお墓で良しとする風潮が蔓延してきました。外国では宗教の違いが原因で、戦争、テロ、差別が起きたりしています。どれもこれも本当の宗教のあるべき姿ではないからでしょう。

 賢治は、宗教はひとつになって世界宗教になるべきであるということを考えていたようです。晩年に、黄瀛(こうえい)や佐々木喜善と対話した内容が、賢治研究者によってシンクレティズム的な大宗教構想であったと推定されています。 

 賢治が育った国である日本の神道は山川草木すべてに神が宿る(八百万の神)という考え方ですし、賢治が興味を持っていた仏教の一派である密教も曼陀羅上に多くの神仏を融合する考え方をしています。

 地球上のすべての存在は、それぞれみな地球や宇宙の一部としての貴重な役割があって生まれてきたのではないでしょうか? 宗教が本来、伝えるべきことは、私たち一人ひとりが地球や宇宙の貴重な細胞なのだということならば、ある意味ですべての宗教は同じだと考えて良いでしょう。

 実際にこの危機の時代を乗り越えるには、宗教の再生と融合は不可欠です。賢治は、たぐいまれな霊感と予知力により、世界宗教の誕生、真の宗教の再生を予見していたようなのです。

 もちろん現実には、多様な宗教・宗派・文化・民族があるわけですから、一朝一夕には世界宗教は誕生しませんが、先々代のローマ法王ヨハネ=パウロ2世が他宗教・他宗派・他文化との対話の道を開いたことで、現在では多くの宗教家が他宗教・他宗派・他文化と対話しようとしています。一筋縄ではいきませんが、冷戦終了後、政治の世界でも、それ以前に比べて資本主義国と社会主義国、先進国と発展途上国も対話しようとする姿勢が出てきています。少しずつですが、世界宗教的な発想は育ってきていると思われます。
(文=三浦正雄/不思議文学評論家・怪談評論家)

『新・あの世はあった 文豪たちは見た! ふるえた! 心霊・超常現象が眠れる意識をどう覚醒させたか 』(ヒカルランド)
夏目漱石、宮沢賢治、遠藤周作、南方熊楠、新渡戸稲造、菊池寛......見えざる世界との交流が、珠玉の名作誕生にどのような影響をもたらしたのか?――日本文学に多大な影響を与え続けてきた永遠なる知の源泉(あの世/霊界)と文豪たちとの密接な関係が、膨大な文献により解き明かされる。
著/三浦 正雄、矢原 秀人



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