■『エクソシスト』(1973)
 “エクソシスト”とは、洗礼を受けたカトリック信者が悪魔や悪霊などにとり憑かれた時に、それを取り除くために行われる、いわゆる「悪魔祓い」の儀式のことである。どことなく超自然現象的でオカルト的なイメージのある「悪魔祓い儀式」だが、カトリック教会では、新約聖書にイエス・キリストが悪魔払いをしたという記述があることから、これを認めている。なお、悪魔祓い儀式で行うことは「ひたすら神へ祈ること」のみだとされている。

 このように教会から認められているエクソシストだが、近代ではすたれ、行われることが少なくなっていた。悪魔に憑かれるということは、信仰心が薄く、つけこまれる隙を与えたということであり、他人には知られたくない“タブー”だとされてきたからだ。悪魔を取り払うという儀式も、とても困難なことであり、神父だったら誰でもできるという仕事ではない。が、しかし、70年代にエクソシストのニーズが飛躍的に高まった。引き起こしたのは、1973年に公開された『エクソシスト』である。

 映画は、悪魔に憑かれた少女を、カトリック教会の神父2人が命をかけてエクソシストを行い救うという物語。映画を見た人の多くが、「悪魔に憑かれ恐ろしい形相になり、超自然現象を起こす」という視覚的な衝撃を受けたのだが、それだけでなく、「純粋で愛らしい少女がおぞましく汚い言葉を吐く」というシーン、悪魔に憑かれながらも、時々少女が助けを求めてくるというシーンに、心理的、精神的ダメージを与えられ、身体の不調を訴える人が相次いだ。悪魔に憑かれた少女が、十字架で自慰するシーンもあるのだが、さすがにやり過ぎだという声が上がった。あまりにもリアルであるため、製作者の中には悪魔がいるのではといううわさまで流れた。キリストを冒涜する悪魔が主人公であるこの映画は、世界中で物議をかもしたのである。

 しかし、その一方でこの映画は、エクソシストに対する認識を高め、あらためてその重要性が認められるようになった。カトリック教会の司教から任命されたエクソシストを行うことができる神父の数は増え、映画を観て「次は自分が悪魔にとり憑かれるのではないか」と不安にさいなまされる信者たちの心に安心感を与えている。

■『パッション』(2004)
 敬虔なカトリック信者であるメル・ギブソンが、監督・製作・共同脚本を務めたことで、注目を集めた『パッション』。新約聖書をもとに、イエス・キリストの最後と奇跡の復活を描いた作品で、本格的な宗教的映画になるだろうと期待が寄せられる一方、イエスを裏切ったユダヤ人に対して風当りが強くなるだろうという声も多く、公開前から論議が起こっていた。

 映画には、十字架を背負わされエルサレムの街を歩くイエスの様子や、その十字架にかけられるシーンがとてもリアルに演出されており、拷問シーンも目を覆うようなほどグロテスクなものだった。あまりにも凄まじい拷問シーンに、映画を見ていた50代のキリスト教徒の女性が心臓発作を起こし死亡したほどであり、やり過ぎだと論議が巻き起こった。

 公開を阻止するデモも行われたほどだったが、メルはインタビューで、「衝撃的な映画にしたかった。極端な作品にしたかったんだ。これほどまでに痛めつけられ苦しめられても、すべてを許し、愛を与えてくれる。その意味がどれだけ深いものなのか伝えたかったんだ」と発言。いたずらにショッキングな内容にしたわけではないことを強調した。

 映画は、公開前にも問題視されていたように、反ユダヤ主義的であると論争になったが、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が「聖書の内容に忠実だ」と発言し、ヒートアップ。そもそも、イエス・キリストの生涯を映画化しようと思うことが、最大の罪なのだとメルを非難する者も現れた。

 映画が公開された2年後、メルは飲酒運転で逮捕されたのだが、その際、「ユダヤ人の野郎はファッキングだ!世界中で起こっている戦争の責任は、みんなユダヤ人どものせいだ」という言葉を吐き、「メルは反ユダヤ主義者だ。やっぱり『パッション』も反ユダヤ主義的映画なんだ」と言われるようになった。

■『最後の誘惑』(1988)
 メル・ギブソンの『パッション』が公開される16年前にも、イエス・キリストの生涯を描いた長編映画が制作されている。ギリシャ人小説家ニコス・カザンザキスの小説をもとに、「神から預言者としての役割を与えられた苦悩する人間」としてのイエス・キリストを描いた『最後の誘惑』である。名監督であるマーティン・スコセッシが手がけたこの映画も、また『パッション』以上に論議を巻き起こした。公開前から繰り返し強い非難を受け、何度も製作中止の危機に面したほどであった。

 人間としてのイエスを軸にしているからか、神からのお告げが、まるで幻聴を聞いているかのように受け取ることができたり、マグダラのマリアとのセックスシーンが登場し子どもまでもうけたり、ユダとの関係が少々同性愛っぽく見受けられたり、パウロから罵倒されたりと、さまざまなシーンが論争となった。その中でも、キリスト教徒が最も「神に対する冒涜」だと感じたのは、「悪魔の誘惑に負けたイエス」を描いた点だと言われている。あまりにも酷いと抗議する声が高まり、キリスト教関連団体が上映反対運動を起こしたりもした。

 原作が小説であり、聖書に忠実ではないという点も問題となったが、一方で「聖書に書かれていることがすべて真実だと、誰が証明できるんだ」というキリスト教信者でない人々からの声も上がった。誰から見てもわかりやすいラストとなっており、神父を志し勉強したことのあるマーティンならではの描き方だと評価された。大きな論争をかもした作品だったが、マーティンはこの映画でアカデミー賞の監督賞にノミネートされている。

 なお、個性がきつすぎるウィレム・デフォーがイエス役を演じたと言う点でも、賛否両論が起こったが、彼だからできたという声も多い。

 ほかにも、イエス・キリストには子孫がいるという内容が神を冒涜していると言われた『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)、長年スペインで公開禁止となった誘惑、殺人何でもありの『ビリディアナ』(1961)、修行中の聖人に彼をたぶらかそうと小悪魔がやってくるという内容が不謹慎だと言われた『砂漠のシモン』(1965)、イエス・キリストをネタにしたモンティ・パイソンのコメディ映画『ライフ・オブ・ブライアン』(1979)、天国へ戻ろうとする堕天使コンビが主人公の『ドグマ』(1999)、などなど。

 宗教をテーマにした映画は、一部の信者たちに不快感を与え、論議を巻き起こし、物議をかもす。しかし、世界中の人々に宗教観などについて深く考える機会を与えたという点では、名作であり、成功作だと言えるのではないだろうか。



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