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Photo By oda.shinsuke From Flickr

 鏡は、古来より不思議な霊力が宿るとされ、祭祀や呪術の道具として用いられてきました。古代から日本人は鏡を神聖なものと扱っていたので、神社では鏡を御神体として祀っているところが数多く存在しています。

 『古事記』、『日本書紀』の伝承では、八百万の神々の頂点に君臨する女神・天照大神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸(あまのいわと)に隠れた際、外に誘き出す道具として用いられています。

 天照大神は、弟である須佐之男命(スサノオノミコト)の悪行ぶりに怒り、天岩戸に隠れてしまいました。太陽神であった天照大神が隠れたせいで、世の中は真っ暗闇になってしまい、困り果てた神々は知恵をふりしぼり、岩戸の前で天鈿女命(アメノウズメノミコト)を舞い躍らせて宴会を催しました。外の賑やかさを不思議に思った天照大神は、岩戸を細めに開けて、神々に楽しげにしている訳をこっそり尋ねると、「あなたさまよりも尊い神が現れたので、皆が喜んでいるのです」と返事がかえってきました。その時、神々はすかさず、「鏡」を岩戸の前に置き、鏡に映し出された自分自身を神々しい神の姿と勘違いした天照大神は、興味を持って岩戸からさらに身体を差し出しました。そして、強力な天手力男神(アメノテジカラオ)が岩戸を押し開き、隠れていた天照大神があらわれ、再びこの世は明るくなったと伝えられています。

 この時の鏡が八咫鏡(やたのかがみ)で、日本国家の象徴ともいうべき国宝・三種の神器(勾玉・鏡・剣)のひとつです。現在、八咫鏡は伊勢神宮の皇大神宮(こうたいじんぐう)の御神体となっています。また、天照大神は「この鏡を私だと思って祀りなさい」との神勅を出していることから、古代から日本人は「鏡」を神聖なものと扱っていたのです。

 また、霊力が宿るといわれる鏡は、姿だけでなく真実をも映し出すとされていていました。地獄の閻魔大王は、浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)を使って、亡者の生前の行いのすべてを映し出し、善悪を見極めるといわれています。だから、神秘的な力宿ると信じられてきた鏡が割れることは、不吉な予兆とも考えられています。

 たとえば、「鏡が割れると7年不幸が続く」「鏡が割れると大切な人が亡くなる」「鏡を割ると異次元の扉が開いて魔物が現れる」といった具合にさまざまな言い伝えがあります。

 しかし、日本には 鏡割り(鏡開き)という行事や習慣があります。「割る」という言葉は縁起が悪いので、「運を開く」にかけて「開く」という縁起の良い言葉を用いる場合もあります。

 正月行事の鏡割り(鏡開き)もそのひとつ。1月11日(地方により異なる)に神様に供えていた鏡餅を、かなづちなどで割り砕き、無病息災と延命を祈願して雑煮や汁粉にしていただきます。お祝いごとで酒樽を割ることも鏡割り(鏡開き)といいます。樽酒の蓋のことを酒屋で「鏡」と呼んでおり、それを割ってお酒を参列者で酌み交わして祈願の成就を願うので鏡割り。結婚式、祝賀会、竣工式、決起大会など、さまざまなおめでたい場面で行われます。

 そうなると、愛用していた鏡が割れてしまった時、鏡が割れたことを不吉ととらえるよりも、「厄災を祓う」「運気が開ける」と前向きに考えるのがいいのかもしれません。そして、割れた鏡は、捨て去ることで鏡とともに厄災は自分の手元から離れていくといわれています。そして、割れた鏡には塩を振り、和紙で包んで捨てましょう。そして、最後に「鏡」に対して感謝の気持ちを忘れないようにすることが大切です。
(じゅりんだ)



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