――実力だけでは生き残れないハリウッドという世界に生きるセレブ。彼らを支えているパワーの源、幸運をもたらす見えざる手を分析します。

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マドンナは布教活動してんじゃなくて、ただ好きなものを
オススメしているだけなんです

■今回のターゲット
マドンナ (カバラ)

 米国ミシガン州の田舎町ベイシティに生まれ育ったマドンナ。幼い頃からしっかり者で、地元の高校を優秀な成績で卒業した後、奨学金を受けてミシガン大学に進学。そこで出会ったバレエ教師に勧められダンサーになる決意をし、1977年、モダン・ダンサーとして新境地を開拓するため単身ニューヨークに移り住んだ。

 ダンキンドーナツでバイトをしながら、積極的にダンサーとして自分を売り込んでいったマドンナ。79年にはフランス人ディスコ・アーティスト、パトリック・エルナンデスのワールドツアーにバックダンサーとして出演するビッグチャンスを手に入れたが、生活は苦しく、成人向け映画やヌード写真のモデルなどをしてお金を稼いでいたそう。行き詰まりを感じ始めた時、出会ったボーイフレンドと「ブレックファースト・クラブ」というバンドを結成し、音楽活動を開始。次の交際相手と結成した「エミー」というバンドの曲がDJに注目され、サイアー・レコードと契約し、マドンナは歌手として歩み出したのだった。

 83年には、ファーストアルバム「バーニング・アップ」をリリース。翌年発売したセカンドアルバム「ライク・ア・バージン」は世界的な大ヒットとなり、一気にスターダムを駆け上がった。彼女の強いメッセージ性のある音楽は、時に宗教的、モラル的な議論を巻き起こすことが多いが、人々の心を揺さぶり、全世界で支持されるようになった。53歳になった今も、現役アーティストとして第一線で活躍。映画監督としても活動しており、2人の実子と2人の養子の母親としても奮闘。彼女のアグレッシブで前向きな生き様には、多くの人が魅了されている。

 強い女性の代名詞のように呼ばれるマドンナだが、その強さは、幼い頃から歩んできたスピリチュアル・ジャーニーで叩き込まれたものだといっても過言ではないだろう。

 マドンナは6人兄弟の末っ子として誕生した。実母は乳がんに苦しみながら、彼女が5歳のときに他界。それからというもの、今度は父親がいなくなるのではないかと不安な気持ちを抱えるようになり、一家が信仰していたキリスト教に深く心を寄せながら育った。しかし、父は家政婦として雇っていた女性と再婚、異母兄弟も2人生まれ、マドンナの心は激しく荒んでしまった。この頃、彼女は「疑問に思ったことの答えが全てキリスト教から得られるとは限らない」と、思うようになったそうだ。

 とはいえ、彼女のキリストへの宗教心はとても強く、デビューするときも、苗字を捨て、"マドンナ"という聖なる名前で勝負に出る決心をしている。「ライク・ア・バージン」に眉をひそめる保守派の人も多かったが、ピュアな気持ちは持ち続け、ジャラジャラ身につけていたアクセサリーの中には、必ずといってよいほど十字架を入れていたそうだ。

 マドンナは85年に、当時バッドボーイとして名をはせていたショーン・ペンと結婚したが、結婚生活は4年で破綻。アップダウンの激しい夫婦生活だったとのことで、マドンナは再びキリスト教を心の拠り所にした。そして、キリスト教色の強いアルバム「ライク・ア・プレイヤー」を製作したのだ。大きな反響を呼んだアルバムだったが、マドンナはそのときのキリスト教観についてこう語っている。

「私は、カトリックの教えによる罪悪感と罪の意識を常に持っているの。その意識は日々の暮らしに浸透しているわ。浸透して欲しいとか、欲しくないとか、関係なしにね。カトリックでは、誰もが罪人。神に対して、罪を許し、魂を洗ってくれるよう、繰り返し祈らなければならない。私の曲には、このカトリックの教えが強く影響しているの」

 このように、キリスト教一筋であったマドンナに、97年、大きな転機が訪れる。ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想、カバラとの出会いだ。彼女は、カバラに入信した経緯をインタビューで、こう明かしている。

 「女友だち(サンドラ・バーンハード)が、カバラのラーニング・センターに足しげく通っていて。素晴らしいラビがいるんだって、よくカバラの話をしてくれたの。あまりにも熱心に話してくれるものだから、『ユダヤ人じゃない私に、なぜそんな話をするの?』って聞いたの。そしてたら、『ユダヤ人じゃなくても、カバラは信仰できるのよ。一度、来てみなさいよ。いいな、と思ったらラビの話を聞いたらいいわ。合わないって思ったら、クラスから出て行けばいいし』って、勧められて。だから行ってみたの。そして、その日からずっと、通い続けているわ」

 マドンナが通っているのは、ラビ・フィリップ・ベルグが創設したカバラ団体であり、女人禁制の正統派カバラではない。とはいえ、カバラの教えにポジティブシンキングを組み合わせたこの団体の教えに、マドンナは幼い頃から胸に抱いてた、キリスト教が説明してくれなかった疑問、全ての答えを見出すことができ、心酔するようになった。

 98年にリリースした8thアルバム「レイ・オブ・ライト」では、カバラ・センターが「クリエイティブなガイダンスをしてくれた」と明かしており、2003年にリリースした「アメリカン・ライフ」の歌詞で、「私はクリスチャンでも、ユダヤ教信者でもない」と断言。完全にキリスト教と決別したと話題になった。同年、彼女は子ども向け絵本を発売しているが、この内容もカバラに大きく影響を受けたものだと明かしている。また、この頃、ハリウッドのセレブたちをロサンゼルスのカバラ・センターに誘うなど、広告塔のような活動もしていた。

 2番目の夫ガイ・リッチーと離婚した翌年の09年には、コンサートのため訪れたイスラエルでユダヤ教の聖地「嘆きの壁」を訪問。その様子は写真入で大々的に報じられた。また、地元新聞の取材に応じ、カバラについて熱く語るなど反響を呼んだ。

 04年にはニューヨークのカバラ・センターに14億円を寄付したり、デミ・ムーアと共同で、ラビのために500万円のパーティーを開いたりと、カバラのためにお金を使うことを惜しまないマドンナ。しかし、今年、彼女がカバラ教団LA支部と共同で立ち上げたマラウイ共和国の子を支援する慈善財団が、資金面で問題を抱え解散。マドンナは管理不行きを指摘されているとされ、教団と決別するのかもしれないと囁かれている。

 マドンナは以前、インタビューで「混乱に陥ったとしても、それは自分自身の責任。自分の行ったことは自分にかえってくるものなの」「人生を良くしたければ、周りの人によくすること。それがカバラの教え」と発言している。

 キリスト教以上に深く結ばれたマドンナとカバラとの関係は、今後も続いていくのか。世間の注目を集めている。



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