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CNNの中継映像。動画はこちらから

 1993年4月19日、テキサス州ウェーコにある新興宗教ブランチ・ダビディアン教団施設に、戦車、装甲車、武装ヘリコプターを率いたFBIが強制突入した。教団は児童虐待と銃器不法所持の罪に問われ、2月28日にATFから強制捜査された際に銃撃戦となり、その後、51日間にわたり立てこもりを続けていた。FBIは、信者たちが投降するだろうと予想し突入したのだが、彼らの予想外の抵抗によって教団は炎に包まれ、33歳の若き教祖、デビッド・コレシュと25人の子どもをふくむ81人の信者たちは焼死した。この様子はテレビで生中継され、世界中に衝撃を与えた(ATFとの銃撃戦の動画はこちら)。


 単なる新興宗教団体だったブランチ・ダビディアンを、この上なく危険なカルトに導いた男、デビッド・コレシュ。彼はいったい、どんな人物だったのだろうか。

 59年8月17日、デビッドはバーノン・ハウエルとしてテキサス州ヒューストンにて、15歳のシングルマザーの元に生まれた。父親は当時20歳で、彼が誕生した直後に他の10代の少女のもとへ走り、生涯親子の交流を持つことはなかった。重度のアルコール依存症となった母親は男を作り、デビッドは祖父母により育てられた。デビッドは籠城中、FBI捜査官に対して「寂しく、悲しい子ども時代だった」「ほかの子どもたちからからかわれ、いじめられた」と語っており、暗い幼少期を過ごしたとされている。また、8歳の時、年上の男子たちからギャング・レイプされたとも告白。失読症のデビッドは勉強が苦手で高校を中退しているが、聖書には並々ならぬ興味を示し、12歳でほとんど暗唱できるようになっていたという。また、ずば抜けた音楽の才能もあったとも伝えられている。
 
 デビッドは20歳のとき、母親が信仰していたプロテスタント系のセブンスデー・アドベンチスト教会に通うようになるが、22歳で15歳の少女を妊娠させたほか、牧師の娘に恋し「神から指示を得た」と結婚を迫り追放されてしまった。その後、ロックスターになろうとハリウッドへ移住したが芽は出ず、テキサスに舞い戻る。そして、81年、同州ウェーコに移り、セブンスデー・アドベンチスト教会の分派、ダビデアンズから分裂した1,400人の信者を抱える新興宗教ブランチ・ダビディアンに入信。ミサでギターを弾くデビッドの姿は目立ち、ほどなくして教団リーダーの未亡人で当時70代後半だったロイス・ローデンと肉体関係を結ぶようになった。自称予言者のロイスは事実上教団のリーダーであり、溺愛したデビッドとふたりでイスラエル旅行に出かけ、「彼は選ばれた者だ」と言うなどやりたい放題をしたため、デビッドの教団内の地位は一気に上がり、86年にロイスが死んだ後、彼女の実の息子ジョージと主導権争いを繰り広げることになる。

 デビッドはこの争いで自分についた信者を連れテキサスの東部に移動。主導権争いから退いたかのように見せかけ、ライフルや銃、弾薬などをかき集め教団を襲撃した。ジョージは胸と手を撃たれ、デビッドと彼の信者は殺人未遂で裁判にかけられたが、デビットは「ジョージこそが犯罪者であり、脅すために発砲しただけで『たまたま当たってしまった』」と主張し、未決定審理に終わった。89年、妄想がひどくなったジョージが男性をオノで殺害し精神病棟送りとなったこともあり、90年、デビッドが正式にブランチ・ダビディアンのトップに就任した。この時、バーノン・ハウエルという名前を捨て、法的にもデビッド・コレシュへと改名した。そして「ブランチ・ダビディアンの信者だけが、最終戦争に生き残れることを神に認められたのだ」と説き、教団はエックスデーに備え大量の武器を収集し始めるようになったのだった。

 教団のトップに立ったデビッドは、その立場を利用し、既婚者、未成年者構わず手込めにし、「スピリチュアル・ワイフだから」と13歳の少女ともセックスをするようになった。情報を得たテキサス州の児童保護局は、未成年者への性的虐待だとして92年に捜査を開始したが、信者の口は固く、証拠・証言が集められず追及を断念。しかし、司法長官ジャネット・リノは、93年2月に元信者からの「デビッドが生後8カ月の女児を含む子どもたちを出血するまで叩くなどの虐待を行っている」という情報を得て、ブランチ・ダビディアンを児童虐待と銃器不法所持罪で攻撃するよう命令を下したのだった。

 93年2月28日、教団はATF(アルコール・タバコ・火器局)による強制捜査を受けるが、「バビロニア軍隊に攻撃される」という予言が実現したと信じ込んだ信者たちは、銃を使い狂ったように応酬。ATFの捜査官4名、ダビディアンの信者6名が死亡した。ATFから事前に捜査情報を得ていたメディアは、この銃撃戦の様子を生中継し、撃たれ、のた打ち回る捜査官の姿は世界中に衝撃を与えた。

 デビッドや側近たちはこの銃撃戦で負傷したが、致命的なものではなく、また、教団内には最終戦争に備えさまざまな蓄えがあったため、迷わず立てこもりを始めた。捜査を引き継いだFBIは、ブランチ・ダビディアンと750回以上の電話交渉を試みたが、教団側は聞く耳を持たず、教義を振りかざすのみ。デビッドは、近くに取材基地を構えたメディアを利用し、「この戦いは世界最終戦争の前哨戦だ」と語ったり、手榴弾を体に巻き付けポーズを取るなど、派手なパフォーマンスを行った。調子に乗るブランチ・ダビディアンを苦々しく思っていた司法長官は、こう着状態にしびれを切らし、「もはや強行突入しか道はない」と決断。籠城から51日目の4月19日、教団施設に突入したのだった。

 ブランチ・ダビディアンの信者81人が焼死した火元だが、"信者が戦うために放ったという説"、"FBIが放ったという説"、さまざまな説がある。ATFやFBIの捜査に関しても、さまざまな疑問が投げかけられているが、真相は明かされていない。ブランチ・ダビディアンのその後だが、教祖なき今もまま今も活動を続けており、毎年4月19日に開かれるメモリアル・サービスには50~70人の信者たちが参列していると伝えられている。

 81人の信者を道連れに、33歳の若さで死んだデビッド・コレシュ。彼の指示のもと繰り広げられた派手な銃撃戦は多くの若者に悪影響を与えたとされており、この中継を見てティモシー・マクベイとテリー・ニコルズはオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件を思いついたと証言している。なお、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件は、ブランチ・ダビディアン教団銃撃・炎上事件からちょうど2年後の95年4月19日に、デビッドへの敬意を示すかのように発生している。






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